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歴史 ⑭参考書

大正デモクラシー

大正時代
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1

政治の変革

政治の変革(この単元でわかること)
「みんなの声を政治に」——そんな空気が日本中に広がった時代、それが大正デモクラシーだよ。一部の人だけが握っていた政治の主役の座に、少しずつ民衆が近づいていくんだ。

1第一次護憲運動と大正デモクラシー

民衆の声が政治を動かし始めたよ。

大正時代に入ると、「もっと国民の声を政治に生かしてほしい」という気運、つまり大正デモクラシーが日本中に広がっていったんだ。1912年から13年にかけて、尾崎行雄や犬養毅たちが「閥族打破・憲政擁護」を合言葉にした第一次護憲運動を起こしたのを知ってる?この運動、なんと藩閥政治の象徴だった第3次桂太郎内閣を退陣に追い込むほどの力を持っていたんだよ。一部の人たちだけで決めていた政治のあり方に、国民が「それはおかしい」と声を上げた、大きな一歩だったんだね。

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第一次護憲運動で、桂太郎内閣が退陣に追い込まれたよ。
大正デモクラシーたいしょうデモクラシー大正期に広まった、民主主義を求める風潮。
第一次護憲運動だいいちじごけんうんどう1912〜13年、桂太郎内閣を退陣させた「憲政擁護」を掲げる運動。

2吉野作造の民本主義

天皇制のままで民衆の声を活かす考えだよ。

この大正デモクラシーの流れを理論の面から支えたのが、東京帝大教授の吉野作造なんだ。彼が唱えたのが民本主義という考え方。「主権は国民にある」とまでは言わなかったけど、「天皇が主権を持つ今の仕組みのままでも、政治にはできるだけ民衆の意思を反映させるべきだ」と説いたんだよ。少し控えめに聞こえるかもしれないけど、当時としてはとても新しい発想で、多くの人々に影響を与えたんだ。

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民本主義は、天皇主権のままで民衆の意思を政治に生かす考えだよ。
吉野作造よしのさくぞう民本主義を唱え、大正デモクラシーを理論で支えた政治学者。
民本主義みんぽんしゅぎ天皇主権のもとでも民衆の意思を政治に生かすべきという考え。

3原敬内閣と「平民宰相」

爵位のない首相が政党内閣を作ったよ。

1918年、米の値段が急に上がって人々の生活が苦しくなり、全国で米騒動が起きたんだ。この混乱で当時の内閣が退陣し、代わって立憲政友会の総裁原敬が内閣を組織したよ。原敬は華族の爵位を持たない衆議院議員だったことから、平民宰相」と親しみを込めて呼ばれたんだ。すごいのは、この内閣がほとんどの大臣を政党員で固めた、日本で初めての本格的な政党内閣だったこと。政治が少しずつ、庶民に近づいていったのが分かるよね。

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原敬は爵位を持たず、日本初の本格的な政党内閣を組織したよ。
原敬はらたかし1918年に日本初の本格的政党内閣を組織した首相。「平民宰相」と呼ばれた。

4普通選挙法と治安維持法

選挙権拡大と思想統制が同時に進んだよ。
有権者数の増加(普通選挙法で激増)

1925年、加藤高明内閣のもとで大きな法律が2つ同時に生まれたんだ。ひとつは普通選挙法これまであった納税額による制限がなくなり、25歳以上の男子なら誰でも選挙権を持てるようになったんだよ。でも同じ年、社会主義など国の仕組みを変えようとする考えを取り締まる治安維持法も制定されたんだ。政治参加の扉が大きく開かれた一方で、思想の自由には厳しい制限がかけられた——光と影が同時にやってきた年だったんだね。ちなみに女性にはまだ選挙権は与えられなかったよ。

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1925年、普通選挙法と治安維持法が同時に制定されたよ。
普通選挙法ふつうせんきょほう1925年制定。25歳以上のすべての男子に選挙権を与えた法律。
治安維持法ちあんいじほう1925年制定。社会主義など反体制の思想を取り締まる法律。
加藤高明かとうたかあき1925年に普通選挙法と治安維持法を制定した首相。
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大正時代、民主主義を求める大正デモクラシーが広がり、民本主義がそれを支えたよ。米騒動をきっかけに原敬の政党内閣が誕生し、1925年には普通選挙法治安維持法が同時に制定されたんだ。
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2

社会運動の広がり

社会運動の広がり(この単元でわかること)
「もう黙っていられない」——労働者も、農民も、女性も、差別に苦しんできた人たちも、それぞれの立場から声を上げ始めたのが大正時代なんだ。

1労働運動と農民運動

働く人たちが自分たちの力で声を上げたよ。

工場で働く人が増えた大正時代、労働条件の改善を求める労働運動が各地で広がり、1921年には全国組織の日本労働総同盟がまとまったんだ。農村でも、小作料の引き下げを求める動きが強まり、1922年には賀川豊彦らが日本農民組合を結成したよ。地主に小作料の値下げを求める争い、つまり小作争議を全国で主導したんだ。働く人たちが「もっと生活を良くしたい」と、自分たちの力で立ち上がり始めた時代だったんだね。

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1921年日本労働総同盟、1922年賀川豊彦らが日本農民組合を結成したよ。
日本労働総同盟にほんろうどうそうどうめい1921年に成立した労働組合の全国組織。
日本農民組合にほんのうみんくみあい1922年、賀川豊彦らが結成。小作争議を全国的に主導した。

2全国水平社と差別への抵抗

差別をなくす決意を自らの手で示したよ。

長い間、被差別部落出身という理由だけで不当な差別を受けてきた人たちがいたんだ。1922年、その人たちが京都に集まり、全国水平社を結成したよ。結成大会で発表された水平社宣言は、「人の世に熱あれ、人間に光あれ」という有名な言葉で結ばれていて、誰かに差別をなくしてもらうのを待つのではなく、自分たちの手で差別をなくそうという強い決意が込められているんだ。すごい覚悟だと思わない?

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1922年、差別解消を目指す全国水平社が結成されたよ。
全国水平社ぜんこくすいへいしゃ1922年、被差別部落出身者が差別解消を目指し結成した組織。
水平社宣言すいへいしゃせんげん全国水平社の結成大会で発表された、「人の世に熱あれ、人間に光あれ」で結ばれる宣言。

3女性解放運動の広がり

女性が声を上げる場所が広がっていったよ。

「もともと女性は太陽だった」——1911年、平塚らいてうはこんな言葉とともに女性誌「青鞜」を創刊し、女性の解放を訴えたんだ。1920年には市川房枝らとともに新婦人協会を結成し、女性が政治集会に参加することを禁じていた治安警察法第5条の改正を求めたよ。今では当たり前に思えることも、当時は法律で禁じられていたんだね。少しずつだけど、女性が声を上げられる場所が広がっていったんだ。

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平塚らいてうの青鞜や、市川房枝らの新婦人協会は女性の政治参加を求めたよ。
平塚らいてうひらつからいてう1911年に女性誌「青鞜」を創刊した女性運動家。
青鞜せいとう1911年に平塚らいてうが創刊した女性誌。
新婦人協会しんふじんきょうかい1920年に平塚らいてう・市川房枝らが結成した、女性の政治参加を求めた団体。

4関東大震災という試練

大災害の混乱がデマと悲劇を生んだよ。

1923年9月1日、関東大震災が関東地方を襲い、死者・行方不明者は10万人を超える大きな被害となったんだ。この混乱の中で、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」といった根も葉もないデマが広まり、自警団によって多くの朝鮮人や中国人が命を奪われるという悲しい事件も起きてしまった。大きな災害のあとには、こうしたデマや差別が広がりやすいということを、私たちは歴史から学ばないといけないよね。

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1923年の関東大震災では、デマによって朝鮮人などが迫害されたよ。
関東大震災かんとうだいしんさい1923年9月1日に発生し、死者・行方不明者10万人以上を出した大地震。
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大正時代には労働者・農民・被差別部落の人々・女性が、それぞれの立場から権利を求めて声を上げたよ。1921年の日本労働総同盟1922年の全国水平社1920年の新婦人協会などがその代表なんだ。1923年の関東大震災では大きな被害に加え、デマによる悲しい迫害も起きたんだよ。
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3

大衆文化の成熟

大衆文化の成熟(この単元でわかること)
ラジオから流れる声、1冊1円の本、銀座を歩くおしゃれな若者たち——大正から昭和初めにかけて、庶民の暮らしがぐんと華やかになっていったんだよ。

1ラジオ放送と大衆文化の広がり

ラジオが庶民の暮らしに娯楽を届けたよ。

1925年、東京・大阪・名古屋でラジオ放送が始まったんだ。これは後の日本放送協会、つまりNHKへとつながっていくよ。新聞や雑誌、映画なども広く普及して、都市に暮らす一般の人々に親しまれる大衆文化が花開いた時代だったんだ。大正期には音のない無声映画が大人気になり、昭和の初めには音声付きのトーキーへと進化していったよ。家庭にいながら世の中の情報や娯楽を楽しめるようになった、大きな転換点だったんだね。

ここだけ覚える
1925年、東京・大阪・名古屋で始まったラジオ放送が大衆文化を広げたよ。
大衆文化たいしゅうぶんかラジオ・映画・雑誌の普及を背景に、都市の一般の人々に広がった文化。
ラジオ放送らじおほうそう1925年に東京・大阪・名古屋で始まった放送。後のNHKにつながる。

2円本とモボ・モガ

安い本と新しい流行が街にあふれたよ。

1926年、改造社という出版社が1冊1円という安さで文学全集を売り出したんだ。これが「円本」と呼ばれ、それまで高価だった本を庶民も気軽に買えるようになり、読書がぐっと身近になったんだよ。また、洋装に身を包んで銀座の街を闊歩する若者たちは「モボ・モガ」(モダンボーイ・モダンガール)と呼ばれ、新しい流行の象徴になったんだ。都市を中心に、和と洋が入り混じった文化住宅も広まっていったよ。

ここだけ覚える
1926年の円本で読書が広まり、モボ・モガが新しい流行になったよ。
円本えんぽん1926年に改造社が売り出した、1冊1円の文学全集。
モボ・モガモボ・モガ洋装で銀座などを歩いた、大正末〜昭和初期の都市の若者。

3個性豊かな文学者たち

作家それぞれが違うテーマを描いたよ。

この時代、個性的な作家たちが次々と作品を発表したんだ。芥川龍之介は「羅生門」「鼻」といった短編で人間の心の奥深さを鋭く描き出したよ。武者小路実篤や志賀直哉白樺派は、人間らしさや理想を大切にする作品を発表したんだ。そして1929年、小林多喜二は「蟹工船」という作品で、過酷な労働環境に苦しむ労働者の姿を描き、プロレタリア文学の代表作となったんだよ。同じ時代でも、書く人によって全然違うテーマに向き合っていたんだね。

ここだけ覚える
芥川龍之介や白樺派、小林多喜二の「蟹工船」など個性的な文学が生まれたよ。
芥川龍之介あくたがわりゅうのすけ「羅生門」「鼻」などの短編で人間心理を描いた作家。
白樺派しらかばは武者小路実篤・志賀直哉らの、人道主義を大切にした文学グループ。
小林多喜二こばやしたきじ「蟹工船」を著したプロレタリア文学の代表的作家。
プロレタリア文学ぷろれたりあぶんがく労働者・農民の暮らしを描いた文学運動。
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1925年のラジオ放送開始をきっかけに大衆文化が花開き、円本やモボ・モガなど新しい流行も生まれたよ。文学では芥川龍之介や白樺派、そしてプロレタリア文学の小林多喜二など、個性豊かな作家たちが活躍したんだ。
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