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歴史 ⑤参考書

武士と鎌倉幕府

平安時代末期 〜 鎌倉時代
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1

武士の成長

武士の成長(この単元でわかること)
貴族が都で優雅に暮らす一方で、地方では自分の身や土地は自分で守る人たちが現れてきたんだ。武士という新しい力の誕生、いっしょに見ていこう。

1武士の成長と武士団

地方の武士が力をつけ、武士団を作ったよ。

平安時代の中ごろ、地方の治安が乱れてくると、弓矢や馬の技にすぐれた地方の有力者や農民が武器を持つようになり、10世紀ごろから武士として成長していったんだ。武士は一族や家来を血縁と主従関係で結びつけて、武士団と呼ばれる軍事組織をつくっていったよ。その長である惣領は、土地の管理や戦の指揮、一族の争いの仲裁までこなしていたんだね。天皇の子孫である源氏は東日本を、平氏は西日本を中心に勢力を広げていき、やがて武士団の中心的な存在になっていったんだ。

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武士は武士団を作り、源氏は東日本、平氏は西日本で力を広げたよ。
武士ぶし弓矢や馬の技にすぐれ、10世紀ごろから地方で成長していった人々。
武士団ぶしだん武士が一族や家来を血縁と主従関係で結んでつくった軍事組織。
源氏げんじ天皇の子孫の武士団。東日本を中心に勢力を広げた。
平氏へいし天皇の子孫の武士団。西日本を中心に勢力を広げた。

2平将門・藤原純友の乱

反乱を通じて、武士の力が示されたよ。

935年ごろ、関東で平将門が反乱を起こし、自ら「新皇」を名乗って独立した国を建てようとしたんだ。でも、朝廷側の武士にしずめられてしまったよ。ほぼ同じころの939年ごろには、瀬戸内海で藤原純友が海賊を率いて反乱を起こしているんだ。二つの反乱はどちらもしずめられたけれど、地方で育った武士の力が中央の貴族にもはっきりと示される出来事になったんだね。武士が政治の舞台に登場する前触れだったといえるよ。

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935年の平将門、939年の藤原純友の乱で武士の力が示されたよ。

3源義家と奥州藤原氏

東北で活躍した武士と、栄えた奥州藤原氏だよ。

11世紀の後半、東北地方で起きた前九年合戦・後三年合戦では、源氏の武将源義家が活躍して戦乱をしずめたんだ。これで東日本の武士から厚い信頼を得ることになったんだね。同じころ東北では、金や馬の交易で富を築いた奥州藤原氏が平泉を拠点に約100年にもわたって栄えていたよ。金箔でおおわれた豪華な仏堂、中尊寺金色堂を建てたのもこの一族なんだ。すごいよね。この繁栄は、のちに源頼朝によってほろぼされるまで続いたんだよ。

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源義家は東北の合戦で活躍し、奥州藤原氏は平泉で約100年栄えたよ。
源義家みなもとのよしいえ前九年合戦・後三年合戦で活躍し、東日本の武士の信頼を得た源氏の武将。
奥州藤原氏おうしゅうふじわらし平泉を拠点に約100年栄えた一族。中尊寺金色堂を建てた。

4荘園の広がり

土地の寄進で、荘園が各地に広がったよ。

地方の開発領主は、開墾した土地の税をまぬがれるために、有力な貴族に土地を差し出す寄進を行ったんだ。それでいて現地の管理は自分で続けて、実質的な支配はしっかり保っていたんだね。こうして貴族や寺社が持つ私有地である荘園が各地に広がっていき、税が免除される不輸の権や、国司の役人の立ち入りを拒める不入の権を持つ荘園も増えていったよ。国司が支配する公領と荘園が並び立つ社会が、こうしてできあがっていったんだ。

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開発領主が土地を貴族に寄進して、荘園が各地に広がっていったよ。
荘園しょうえん貴族や寺社が持つ私有地。開発領主の寄進によって広がった。
寄進きしん開発領主が税をまぬがれるため、有力な貴族に土地を差し出すこと。
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10世紀ごろ地方で武士が成長し、源氏は東日本、平氏は西日本で勢力を広げたよ。源義家の活躍や奥州藤原氏の繁栄が続く一方、寄進で荘園も各地に広がっていったんだ。
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2

院政と平氏の政治

院政と平氏の政治(この単元でわかること)
天皇の座を退いても、政治の実権はしっかりにぎっている。そんな上皇が登場してから、武士が初めて政治の頂点に立つまで、いっしょにたどってみよう。

1白河上皇と院政の始まり

上皇が実権を握る、院政が始まったよ。

11世紀の後半、藤原氏による摂関政治に代わって、白河上皇は自ら実権をにぎる院政を始めたんだ。天皇の位を退いて上皇になることで、天皇としての決まりごとに縛られずに、自由に政治を動かせるようになったんだね。白河上皇は院の警備のために北面の武士を置いて、武士の力をうまく身近な形で利用したんだよ。この院政というしくみは、のちの上皇たちにもしっかり受け継がれていったんだ。

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白河上皇は、上皇が実権をにぎる院政を始めたよ。
院政いんせい上皇が実権をにぎって行う政治。白河上皇が始めた。
白河上皇しらかわじょうこう院政を最初に始めた上皇。北面の武士を置いた。

2保元の乱・平治の乱と平清盛

戦乱を経て、平清盛が武士の頂点に立ったよ。

1156年、崇徳上皇と後白河天皇の対立から保元の乱が起こったんだ。源氏・平氏の武士が動員されたことで、武士の政治的な地位がぐっと高まったんだね。1159年の平治の乱では平清盛が源義朝をやぶり、平氏が武士の頂点に立ったよ。清盛は1167年、武士として初めて太政大臣という朝廷の最高位についたんだ。娘を天皇のきさきにするなど、一族で要職を独占していったんだね。

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平清盛は保元・平治の乱を経て、1167年に太政大臣となったよ。
保元の乱ほうげんのらん1156年、崇徳上皇と後白河天皇の対立から起きた内乱。
平治の乱へいじのらん1159年、平清盛が源義朝をやぶった内乱。
平清盛たいらのきよもり1167年に武士で初めて太政大臣となり、平氏の全盛期を築いた人物。
太政大臣だいじょうだいじん朝廷の最高位の役職。1167年に平清盛が武士として初めて就任した。

3日宋貿易と平氏の滅亡

貿易で栄えた平氏も、壇ノ浦で滅んだよ。

平清盛は大輪田泊(現在の兵庫県神戸市)を整備して日宋貿易を進め、宋銭や陶磁器を輸入して大きな利益を得たんだ。でも平氏が朝廷の要職や領地を一族で独占したことは、「平氏にあらずんば人にあらず」と言われるほどの反発を招いてしまったんだね。伊豆で挙兵した源頼朝は弟の源義経らを率いて平氏を追いつめていき、1185年の壇ノ浦の戦いでとうとう平氏をほろぼしたんだよ。

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平氏は日宋貿易で栄えたけど、1185年の壇ノ浦の戦いで滅んだよ。
日宋貿易にっそうぼうえき平清盛が大輪田泊を整備して進めた宋との貿易。
壇ノ浦の戦いだんのうらのたたかい1185年、平氏がほろんだ源氏との戦い。
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白河上皇院政を始めると、保元・平治の乱を経て平清盛が武士で初めて太政大臣となり全盛期を築いたよ。でも一族の独占への反発から、1185年の壇ノ浦の戦いで平氏はほろんでしまったんだ。
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3

鎌倉幕府の成立

鎌倉幕府の成立(この単元でわかること)
武士どうしを結びつけた「ご恩と奉公」。この約束が、日本で初めての武士による政権を支える土台になったんだよ。どんなしくみだったのか、見ていこう。

1源頼朝と鎌倉幕府の成立

頼朝が鎌倉に、武士の政権を開いたよ。

平氏をほろぼした源頼朝は、朝廷から征夷大将軍に任命されて、鎌倉を本拠地に日本で初めての武士の政権である鎌倉幕府を開いたんだ。頼朝は国ごとに軍事・警察を担う守護を、荘園や公領ごとに年貢の取り立てなどを行う地頭を置いて、全国の支配を固めていったんだね。こうして、貴族に代わって武士が政治を動かす時代が本格的に始まったんだよ。

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源頼朝は征夷大将軍となり、鎌倉幕府を開いたよ。
源頼朝みなもとのよりとも平氏をほろぼし、征夷大将軍として鎌倉幕府を開いた人物。
征夷大将軍せいいたいしょうぐん源頼朝が任命された、武家の最高位を示す役職。
守護しゅご国ごとに置かれ、軍事・警察や御家人の統率を担った役職。
地頭じとう荘園や公領ごとに置かれ、年貢の取り立てなどを行った役職。

2御恩と奉公のしくみ

御恩と奉公が、幕府を支える絆だったよ。
御恩と奉公の関係

将軍と主従関係を結んだ武士は御家人と呼ばれたんだ。将軍が御家人の領地を保護したり、新しい土地をあたえたりする御恩に対して、御家人は戦のときの軍役や京都・鎌倉の警護をつとめる奉公で応じる。この関係が鎌倉幕府の基礎になっていたんだね。このような土地を仲立ちとした主従関係は封建制度と呼ばれていて、ヨーロッパ中世の領主と騎士の関係ともよく似ているんだよ。おもしろいでしょ?

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御恩と奉公という主従関係が、鎌倉幕府を支えていたよ。

3承久の乱と御成敗式目

乱に勝った幕府が、武士の法を定めたよ。

頼朝の死後は、妻の実家である北条氏が執権として実権をにぎるようになったんだ。1221年、後鳥羽上皇が幕府をたおそうと兵を挙げる承久の乱を起こしたけれど、北条政子が御家人の団結をうったえたこともあって、幕府側が勝利したんだよ。その後、京都には朝廷を監視する六波羅探題が置かれ、1232年には執権北条泰時が武士のならわしに基づく法である御成敗式目を定めたんだね。

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1221年の承久の乱に勝ち、北条泰時が御成敗式目を定めたよ。
執権しっけん将軍を補佐して実権をにぎった役職。頼朝の死後、北条氏が独占した。
承久の乱じょうきゅうのらん1221年、後鳥羽上皇が幕府をたおそうとして敗れた戦い。
御成敗式目ごせいばいしきもく1232年に北条泰時が定めた、武士のならわしに基づく法。
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源頼朝鎌倉幕府を開き、守護・地頭や御恩と奉公のしくみで全国支配を固めたよ。頼朝の死後は北条氏が執権となり、承久の乱の勝利を経て御成敗式目を定め、武士の政治を安定させていったんだ。
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4

鎌倉時代の社会

鎌倉時代の社会(この単元でわかること)
田畑を耕す技術が進んで、お金を使った商売も広がっていく。武士が政治を動かす一方で、人々の暮らしも大きく変わっていったんだよ。どんなふうに変わったのか見てみよう。

1農業の発達

二毛作など、農業の技術が進歩したよ。

鎌倉時代には農業技術が大きく進んで、同じ田で秋に米、冬に麦を作る二毛作が西日本を中心に広まっていったんだ。木や石より硬く深く耕せる鉄製農具や、牛や馬を使って田を耕す牛馬耕草木を焼いた灰を肥料として使う草木灰の利用も進んでいったよ。これらが組み合わさって、農業の収穫量はぐんと高まっていったんだね。

ここだけ覚える
二毛作や鉄製農具の普及で、農業の収穫量が高まったよ。
二毛作にもうさく同じ田で米と麦を交互に作る農業。鎌倉時代に西日本を中心に広まった。
鉄製農具てっせいのうぐ鎌倉時代に普及した、耕作効率を高めた農具。
牛馬耕ぎゅうばこう牛や馬を使って田を耕す農法。

2商業の発達と貨幣経済

市が開かれ、お金を使う経済が広がったよ。

農業生産が高まると商業も発達していき、寺社の門前や交通の要所には月3回開かれる定期市(三斎市)が各地に広がっていったんだ。平清盛の日宋貿易で日本に大量に入ってきた宋銭は、売買だけでなく年貢の支払いにも使われるようになったよ。物々交換に代わってお金を使う貨幣経済が、こうして進んでいったんだね。商品を運ぶ運送業者である馬借も活躍したんだ。

ここだけ覚える
定期市と宋銭の流通で、貨幣経済が発達していったよ。
定期市ていきいち寺社の門前などで月3回開かれた市場。三斎市ともいう。
宋銭そうせん日宋貿易で入ってきた中国の銭。年貢の支払いにも使われた。
馬借ばしゃく馬を使って荷物や商品を運んだ運送業者。

3武士の暮らしと土地争い

武士道を重んじ、土地争いも起きたよ。

鎌倉時代の武士は、名誉を重んじはじをきらう武士道の心がまえを持っていたんだ。弓や馬の技を磨く弓馬の道を何より大切にして、一大事には「いざ鎌倉」と将軍のもとへ駆けつける覚悟を持っていたんだね。かっこいいよね。一方で、地頭が荘園で力を強めると荘園領主との土地争いが増えていき、土地を半分ずつ分け合う下地中分で解決することもあったんだよ。

ここだけ覚える
地頭と荘園領主は、下地中分で土地争いを解決したよ。
武士道ぶしどう名誉を重んじ、はじをきらう武士の心がまえ。
下地中分したじちゅうぶん地頭と荘園領主が土地を半分ずつ分け合うこと。
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鎌倉時代には二毛作や鉄製農具の普及で農業が発達し、定期市宋銭の流通で貨幣経済も進んだよ。武士は武士道の心がまえを持って暮らし、地頭と荘園領主の土地争いは下地中分で解決されることもあったんだ。
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5

鎌倉文化と新しい仏教

鎌倉文化と新しい仏教(この単元でわかること)
力強くリアルな彫刻と、だれにでも分かりやすい新しい仏教の教え。武士の世にふさわしい文化がここに生まれたんだよ。どんな文化か、のぞいてみよう。

1力強い彫刻と文学

写実的な彫刻と、力強い文学が生まれたよ。

源平の争乱で焼けてしまった東大寺は、鎌倉時代に再建されたんだ。南大門には運慶・快慶らが手がけた写実的で力強い金剛力士像が置かれたよ。文学では、源平の争乱をえがき琵琶法師が語り伝えた軍記物語平家物語鴨長明が世のはかなさを記した随筆「方丈記」、兼好法師が人々の暮らしをつづった随筆「徒然草」が生まれたんだね。後鳥羽上皇の命で藤原定家らが「新古今和歌集」を編集したのもこの時代なんだ。

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運慶・快慶の金剛力士像や、平家物語が生まれたよ。
金剛力士像こんごうりきしぞう運慶・快慶らが作った、東大寺南大門にある力強い彫刻。
平家物語へいけものがたり源氏と平氏の戦いをえがき、琵琶法師が語り伝えた軍記物語。

2念仏の教え

念仏を唱える、新しい仏教が広まったよ。

鎌倉時代には、だれにでも分かりやすい新しい仏教が広まっていったんだ。法然は「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば誰でも救われると説いて、浄土宗を開いたよ。弟子の親鸞は、阿弥陀仏を信じる心があれば悪人こそ救われるという悪人正機を説いて浄土真宗を開いたんだね。一遍は踊りながら念仏を唱える踊念仏を広めて、時宗を開いたんだ。

ここだけ覚える
法然は浄土宗、親鸞は浄土真宗、一遍は時宗を開いたよ。
法然ほうねん念仏を唱えれば救われると説き、浄土宗を開いた僧。
親鸞しんらん悪人正機を説き、浄土真宗を開いた法然の弟子。
一遍いっぺん踊念仏を広め、時宗を開いた僧。

3題目と禅宗

題目や座禅を重んじる、仏教も生まれたよ。

日蓮は法華経の題目「南無妙法蓮華経」を唱えることだけが正しい救いの道だと説いて、日蓮宗を開いたんだ。一方、宋に渡って学んだ栄西は座禅と問答を重んじる臨済宗を伝え、道元はひたすら座禅を行う(只管打坐)ことを説いて曹洞宗を開いたんだね。座禅による自力の修行を重んじる禅宗は、武士の精神にもぴったり合って、広く受け入れられていったんだよ。

ここだけ覚える
日蓮は日蓮宗、栄西と道元は座禅を重んじる禅宗を開いたよ。
日蓮にちれん法華経の題目を唱えることを説き、日蓮宗を開いた僧。
栄西えいさい宋から臨済宗を伝えた僧。
道元どうげんひたすら座禅を行う曹洞宗を開いた僧。
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鎌倉時代には東大寺南大門の金剛力士像平家物語などの力強い文化が生まれたよ。仏教では法然・親鸞・一遍らの念仏の教えや、日蓮の題目、栄西・道元の禅宗など、新しい仏教が広まっていったんだ。
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