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歴史 ⑤問題集

武士と鎌倉幕府

平安時代末期 〜 鎌倉時代
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年代できごと
10世紀ごろ地方の治安の乱れの中でが成長する
935年ごろ関東でが反乱を起こす
939年ごろ瀬戸内海でが反乱を起こす
11世紀後半前九年合戦・後三年合戦でが活躍する
11世紀後半東北でが平泉を拠点に栄え始める
11世紀後半白河上皇がを始める
1156年が起こる
1159年で平清盛が源義朝を破る
1167年が武士として初めて太政大臣となる
1185年で平氏がほろびる
12世紀末源頼朝がに任命され鎌倉幕府を開く
1221年が起こり幕府が勝利する
1232年北条泰時がを定める
鎌倉時代が念仏を唱える浄土宗を開く
鎌倉時代運慶・快慶らが東大寺南大門にをつくる
1

武士の成長

やり方をえらぼう目次にもどれば何度でも変えられるよ
解答
順番
順番
A要点まとめ( )をタップして確かめよう
先に参考書で理解する
10世紀ごろ、地方の治安の乱れを背景に、弓矢や馬の技にすぐれた者たちがとして成長した。武士は一族と家来を血縁と主従関係で結んだ軍事組織であるをつくった。天皇の子孫であるは東日本を、は西日本を中心に勢力を広げていった。935年ごろ関東でが反乱を起こし、ほぼ同時期に瀬戸内海ではが反乱を起こした。11世紀後半には前九年合戦・後三年合戦でが活躍し、東日本の武士の信頼を集めた。同じころ東北地方ではが平泉を拠点に約100年にわたって栄えた。また、地方の開発領主が有力な貴族に土地を差し出したことで、税を免除された私有地であるが各地に広がっていった。
ここからは一問一答答え合わせのやり方をえらぼう
B一問一答1 / 14
弓矢や馬の技術にすぐれ、10世紀ごろに成長した者を何という?
解説を読む(ヒント)
武士ぶし
地方の有力者や農民が武器を持ち10世紀ごろから成長した人々。治安の乱れの中で弓馬の技を磨いて力をつけた。
B一問一答2 / 14
武士が一族や家来を従えてつくった軍事組織は?
解説を読む(ヒント)
武士団ぶしだん
血のつながりと主人と家来の関係で結ばれた組織で、惣領が長としてまとめた。源氏・平氏が代表。
B一問一答3 / 14
武士団のなかで一族をまとめた長は?
解説を読む(ヒント)
惣領そうりょう
武士団の長で、土地の管理や戦の指揮、一族のもめごとの仲裁を行った人物。武士団の中心となった。
B一問一答4 / 14
東日本を中心に勢力を広げた武士団は?
解説を読む(ヒント)
源氏げんじ
天皇の子孫の家系の武士団。源義家らの活躍で東日本に広がり、後に鎌倉幕府を開く源頼朝の先祖となる。
B一問一答5 / 14
西日本を中心に勢力を広げた武士団は?
解説を読む(ヒント)
平氏へいし
天皇の子孫の家系の武士団。瀬戸内海の海賊をしずめて西日本に広がり、平清盛の時代に政治を動かした。
B一問一答6 / 14
前九年合戦・後三年合戦で活躍し、東日本に勢力を広げた人物は?
解説を読む(ヒント)
源義家みなもとのよしいえ
11世紀後半の前九年合戦・後三年合戦で活躍し、東北の戦乱をしずめて東日本の武士の信頼を得た源氏の武将。
B一問一答7 / 14
東北地方の平泉を拠点に約100年さかえた一族は?
解説を読む(ヒント)
奥州おうしゅう藤原氏ふじわらし
11世紀後半から平泉を拠点に約100年栄えた一族。金や馬の交易で富を築き、中尊寺金色堂を建てた。
B一問一答8 / 14
935年ごろに関東で反乱を起こしたのはだれ?
解説を読む(ヒント)
平将門たいらのまさかど
935年ごろ関東で反乱を起こした武士。自ら「新皇」を名乗ったが、朝廷側の武士にしずめられた。
B一問一答9 / 14
939年ごろ、瀬戸内海で反乱を起こしたのはだれ?
解説を読む(ヒント)
藤原純友ふじわらのすみとも
939年ごろ、平将門の乱とほぼ同時期に瀬戸内海で海賊を率いて反乱を起こした人物。武士の力が現れた事件。
B一問一答10 / 14
11世紀後半に東北地方で起こった二つの戦乱は?
解説を読む(ヒント)
前九年ぜんくねん合戦かっせん後三年ごさんねん合戦かっせん
11世紀後半に東北で起きた二つの戦乱。源義家が活躍し、源氏が東日本の武士の信頼を得るきっかけとなった。
B一問一答11 / 14
貴族や寺社が私有した土地は?
解説を読む(ヒント)
荘園しょうえん
貴族や寺社が持っていた土地。地方の有力者が開墾して貴族に寄進したもので、税を免除される特権を持った。
B一問一答12 / 14
国司が支配する土地を何という?
解説を読む(ヒント)
公領こうりょう
国司が支配する土地で、税が課された。税が免除される荘園と対比され、両方が並び立つ社会となった。
B一問一答13 / 14
奥州藤原氏が建て、金箔でかざられた平泉の建物は?
解説を読む(ヒント)
中尊寺ちゅうそんじ金色堂こんじきどう
奥州藤原氏が平泉に建てた、全体を金箔でおおった豪華な仏堂。一族の栄えた様子を今に伝える世界遺産。
B一問一答14 / 14
荘園の税をまぬがれることができる権利を何という?
解説を読む(ヒント)
不輸ふゆけん
荘園にかかる税が免除される権利。有力な貴族が朝廷から認められた特権で、荘園が広がる大きな理由となった。
C実戦問題1 / 8 正しいものを選ぼう
武士団を結びつけていた2つの関係はどれ?
武士団は血縁関係(一族のつながり)と主従関係(惣領と家来のつながり)で結ばれた組織でした。
解説を読む(ヒント)
C実戦問題2 / 8 正しいものを選ぼう
有力な武士団の中心となった源氏と平氏は、もともとどのような身分の子孫?
源氏と平氏はどちらも天皇の子孫(皇族が臣下に降りた家系)で、その家柄を背景に武士団の中心となりました。
解説を読む(ヒント)
C実戦問題3 / 8 正しいものを選ぼう
平氏が西日本で勢力を広げるきっかけとなったのは何を鎮めたこと?
平氏は12世紀前半に瀬戸内海の海賊をしずめたことで朝廷から認められ、西日本に勢力を広げて後の平清盛の台頭につながりました。
解説を読む(ヒント)
C実戦問題4 / 8 正しいものを選ぼう
不輸の権と不入の権の両方を持つ荘園の利点は?
不輸の権で税が免除され、不入の権で役人が立ち入れないため、領主が自由に荘園を支配できました。
解説を読む(ヒント)
C実戦問題5 / 8 正しいものを選ぼう
中尊寺金色堂がある現在の都道府県は?
中尊寺金色堂は現在の岩手県平泉にあり、奥州藤原氏の栄華を今に伝える世界遺産です。
解説を読む(ヒント)
C実戦問題6 / 8 正しいものを選ぼう
平将門の乱と藤原純友の乱は、ともに何世紀の出来事?
平将門の乱(935年)と藤原純友の乱(939年)はともに10世紀中ごろに起きたほぼ同時期の反乱です。
解説を読む(ヒント)
C実戦問題7 / 8 正しいものを選ぼう
平将門が関東で自ら名乗った称号は何?
平将門は自ら「新皇」を名乗り、関東で独立した国を建てようとしましたが鎮圧されました。
解説を読む(ヒント)
C実戦問題8 / 8 正しいものを選ぼう
前九年合戦が起こった地域はどこ?
前九年合戦は東北地方(陸奥国)で起こった戦乱で、源義家が活躍して東国武士の信頼を得ました。
解説を読む(ヒント)
D記述問題1 / 2 文章で説明しよう
10世紀ごろ、地方で武士が成長した背景を説明しなさい。
指定語句 弓矢農民
解説を読む(ヒント)
地方の治安が乱れる中で、弓矢や馬の技にすぐれた地方の有力者や農民が武器を持ち、力をつけていったから。
D記述問題2 / 2 文章で説明しよう
荘園はどのようにして各地に広がっていったか、そのしくみを説明しなさい。
指定語句 寄進
解説を読む(ヒント)
地方の開発領主が税をのがれるため、開墾した土地を有力な貴族に寄進し、現地の管理は続けながら荘園が広まっていった。
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2

院政と平氏の政治

やり方をえらぼう目次にもどれば何度でも変えられるよ
解答
順番
順番
A要点まとめ( )をタップして確かめよう
先に参考書で理解する
11世紀後半、白河上皇は藤原氏の摂関政治に代わって自ら政治を動かすを始め、院の警備にはを置いた。1156年、崇徳上皇と後白河天皇の対立からが起こり、源氏・平氏の武士が動員されて武士の地位が高まった。1159年のが源義朝を破ると、平氏は武士の頂点に立った。1167年、清盛は武士として初めてとなり、大輪田泊を整備してを進め大きな利益を得た。しかし平氏の勢力独占は「平氏にあらずんば人にあらず」といわれるほどの反発を招いた。伊豆で挙兵したは弟の源義経らを率い、1185年ので平氏をほろぼした。
ここからは一問一答答え合わせのやり方をえらぼう
B一問一答1 / 14
天皇が位をしりぞいたあとの称号を何という?
解説を読む(ヒント)
上皇じょうこう
天皇が位を退いたあとの呼び方。出家すると法皇とも呼ばれ、政治を動かす院政の中心となった。
B一問一答2 / 14
上皇が中心となって政治を動かす仕組みを何という?
解説を読む(ヒント)
院政いんせい
上皇が院で政治を行うしくみ。藤原氏の摂関政治に代わる仕組みとして白河上皇が始めた。
B一問一答3 / 14
院政を最初に始めた上皇はだれ?
解説を読む(ヒント)
白河しらかわ上皇じょうこう
退位後も政治を動かし、北面の武士を置いて武士の力を使った。藤原氏の力をおさえようとした。
B一問一答4 / 14
白河上皇が院の警備のために置いた武士を何という?
解説を読む(ヒント)
北面ほくめん武士ぶし
院の北側を守った武士で、白河上皇が置いた。上皇直属の家来として武士が中央政治で活躍するきっかけとなった。
B一問一答5 / 14
1156年、崇徳上皇と後白河天皇の対立から起こった内乱は?
解説を読む(ヒント)
保元ほうげんらん
1156年、天皇家や藤原氏の内輪もめに源氏・平氏が動員されて起きた争い。武士の地位が大きく高まる出来事となった。
B一問一答6 / 14
1159年、清盛と義朝が戦った内乱は?
解説を読む(ヒント)
平治へいじらん
1159年、保元の乱の後に平清盛が源義朝を破った争い。平氏が武士の頂点に立ち、清盛が政治を動かすようになった。
B一問一答7 / 14
武士として初めて太政大臣になったのはだれ?
解説を読む(ヒント)
平清盛たいらのきよもり
保元・平治の乱に勝利し、1167年に武士初の太政大臣となって平氏の全盛期を築いた。大輪田泊を整備して日宋貿易も進めた。
B一問一答8 / 14
平清盛が1167年に就任した、武士初の最高の官職は?
解説を読む(ヒント)
太政大臣だいじょうだいじん
朝廷の最高位の役職で、もとは貴族だけが就いた。1167年に平清盛が武士として初めてこの地位についた。
B一問一答9 / 14
平清盛が整備した兵庫県神戸市の港は?
解説を読む(ヒント)
大輪田泊おおわだのとまり
平清盛が整備した港。日宋貿易の拠点として大きく整え、平氏が栄えるお金のもととなった。
B一問一答10 / 14
平清盛が大輪田泊を拠点に行った宋との貿易は?
解説を読む(ヒント)
日宋にっそう貿易ぼうえき
平清盛が進めた宋との貿易。宋銭や陶磁器を輸入し、得た大きな利益が平氏が栄えるもととなった。
B一問一答11 / 14
鎌倉を本拠地に平氏打倒のため挙兵した人物は?
解説を読む(ヒント)
源頼朝みなもとのよりとも
平治の乱で敗れた源義朝の子。伊豆に流された後に挙兵し、弟の義経らを率いて平氏をほろぼし、のちに鎌倉幕府を開いた。
B一問一答12 / 14
源頼朝の弟で、壇ノ浦の戦いで平氏を破った人物は?
解説を読む(ヒント)
源義経みなもとのよしつね
源頼朝の弟。一ノ谷・屋島・壇ノ浦と各地で平氏を破る軍事的才能を発揮したが、後に頼朝と対立し奥州で命を落とした。
B一問一答13 / 14
1185年、平氏が源氏に敗れてほろんだ戦いは?
解説を読む(ヒント)
だんうらたたか
1185年、現在の山口県下関市で行われた海戦。源義経率いる源氏軍に敗れて平氏一門が滅亡し、源平の争乱が終結した。
B一問一答14 / 14
平清盛が航海の安全を祈り、整備した広島県の神社は?
解説を読む(ヒント)
厳島いつくしま神社じんじゃ
広島県の宮島にあり、瀬戸内海の海上交通を重視した平清盛が一族の繁栄を祈り整備した。現在は世界遺産に登録されている。
C実戦問題1 / 8 正しいものを選ぼう
保元の乱の後に起き、平氏が力を強めるきっかけとなった争いはどれですか。
1159年の平治の乱で平清盛が源義朝を破ったことが、平氏の勢力が一気に強まる転換点となり、清盛の太政大臣就任につながりました。
解説を読む(ヒント)
C実戦問題2 / 8 正しいものを選ぼう
平清盛が一族の権力を独占するために用いた方法として正しいのは?
平清盛は娘を天皇のきさきにし、一族を政府の要職に就けることで権力を独占しました。藤原氏と同じ手法です。
解説を読む(ヒント)
C実戦問題3 / 8 正しいものを選ぼう
壇ノ浦の戦いで源氏の軍を率いて平氏を破った人物はだれ?
源義経は源頼朝の弟で、1185年の壇ノ浦の戦いで源氏の軍を率いて平氏を破りました。一ノ谷・屋島でも活躍しました。
解説を読む(ヒント)
C実戦問題4 / 8 正しいものを選ぼう
日宋貿易で日本に輸入されたおもな品物として正しいのは?
日宋貿易では宋銭と陶磁器が主に輸入されました。宋銭は日本の貨幣経済の発展を促しました。
解説を読む(ヒント)
C実戦問題5 / 8 正しいものを選ぼう
平氏が栄えた主な経済的基盤は何?
平氏は大輪田泊を整備して宋銭や陶磁器を輸入する日宋貿易を進め、得られた莫大な利益を一族繁栄の経済的基盤としました。
解説を読む(ヒント)
C実戦問題6 / 8 正しいものを選ぼう
平清盛が航海の安全を祈り整備した広島県の神社は?
厳島神社は広島県の宮島にあり、瀬戸内海の海上交通を重視した平清盛が航海の安全と一族の繁栄を祈って整備しました。
解説を読む(ヒント)
C実戦問題7 / 8 正しいものを選ぼう
天皇家や藤原氏の対立に武士が関わり、武士の地位が高まるきっかけとなった争いはどれですか。
1156年の保元の乱では崇徳上皇と後白河天皇の対立に源氏・平氏が動員され、貴族社会における武士の重要性が大きく高まりました。
解説を読む(ヒント)
C実戦問題8 / 8 正しいものを選ぼう
出来事を古い順に正しく並べたものはどれですか?
白河上皇が院政を開始→保元の乱(1156年)→平治の乱(1159年)→壇ノ浦の戦い(1185年)の順です。
解説を読む(ヒント)
D記述問題1 / 2 文章で説明しよう
白河上皇が院政を始めた目的を説明しなさい。
指定語句 摂関政治
解説を読む(ヒント)
藤原氏による摂関政治に代わって、上皇自らが政治を動かす院政を始め、実権をにぎり続けるため。
D記述問題2 / 2 文章で説明しよう
平氏の政治が「平氏にあらずんば人にあらず」と言われるほど反発を招いたのはなぜか、説明しなさい。
指定語句 独占
解説を読む(ヒント)
平氏が朝廷の重要な役職や全国の荘園などの領地を一族で独占し、他の貴族や武士の不満を招いたから。
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3

鎌倉幕府の成立

やり方をえらぼう目次にもどれば何度でも変えられるよ
解答
順番
順番
A要点まとめ( )をタップして確かめよう
先に参考書で理解する
源頼朝は平氏をほろぼした後、に任命されて鎌倉に武士の政権である鎌倉幕府を開いた。頼朝は国ごとに軍事・警察を担うを、荘園や公領ごとに年貢の取り立てなどを行うを置いて全国支配を固めた。将軍と主従関係を結んだ武士はと呼ばれ、将軍が領地を保護するに対し軍役や警護をつとめるで応じる関係が幕府の基礎となった。頼朝の死後は北条氏がとして実権をにぎり、1221年には後鳥羽上皇が幕府をたおそうとしたが起こったが、御家人の団結によって幕府側が勝利した。その後京都には朝廷を監視するが置かれ、1232年には北条泰時が武士の慣習に基づく法であるを定めた。
ここからは一問一答答え合わせのやり方をえらぼう
B一問一答1 / 14
源頼朝が鎌倉に開いた武士の政権は?
解説を読む(ヒント)
鎌倉かまくら幕府ばくふ
源頼朝が開いた日本初の武士の政権。守護・地頭を全国に置き、御恩と奉公による武士の政治を始めた。
B一問一答2 / 14
鎌倉幕府を開き、征夷大将軍に任命された人物は?
解説を読む(ヒント)
源頼朝みなもとのよりとも
平治の乱で敗れて伊豆に流されたが挙兵し、弟の義経らと平氏を滅ぼした後、鎌倉を本拠地に武士の政権を開いた人物。
B一問一答3 / 14
1185年に源氏が平氏をほろぼした戦いは?
解説を読む(ヒント)
だんうらたたか
1185年、山口県下関市の壇ノ浦で源義経率いる源氏軍と平氏が戦った海戦。平氏一門が滅亡し源平の争乱が終結した。
B一問一答4 / 14
鎌倉幕府が国ごとに置き、軍事や警察の仕事をさせた役職は?
解説を読む(ヒント)
守護しゅご
国ごとに置かれ治安を守る役。地頭とともに幕府の全国支配を支え、御家人をまとめる役目も果たした。
B一問一答5 / 14
鎌倉幕府が荘園や公領ごとに置き、年貢の取り立てなどを行った役職は?
解説を読む(ヒント)
地頭じとう
荘園や公領ごとに置かれ、年貢の取り立てや土地の管理を行った役。武力を持ち、荘園領主と争うことも増えた。
B一問一答6 / 14
将軍に忠誠をちかい、家来となった武士は?
解説を読む(ヒント)
御家人ごけにん
将軍と直接、主人と家来の関係を結んだ武士。一大事には「いざ鎌倉」と駆けつける覚悟を持っていた。
B一問一答7 / 14
将軍が御家人の領地を認めたり、新たな土地をあたえたりすることは?
解説を読む(ヒント)
御恩ごおん
将軍が御家人に与える恩。先祖から伝わる領地を認めることや、新しい土地を与えることを指す。
B一問一答8 / 14
御家人が将軍のために戦いや警護を行うことは?
解説を読む(ヒント)
奉公ほうこう
御家人が将軍のために行うつとめ。戦いに出陣したり京都や鎌倉を警備したりすることを指す。
B一問一答9 / 14
鎌倉幕府の将軍と御家人の主従関係のしくみは?
解説を読む(ヒント)
御恩ごおん奉公ほうこう
鎌倉幕府の基本的な主従関係。将軍が御家人の領地を保護し、御家人が軍役や警備で将軍に仕える関係。
B一問一答10 / 14
源頼朝が朝廷から任命された、武家の最高位を示す役職は?
解説を読む(ヒント)
征夷大将軍せいいたいしょうぐん
もとは蝦夷を討つ軍の総大将の役職。源頼朝のあとは武士のかしらを意味し、幕府の将軍の称号となった。
B一問一答11 / 14
鎌倉幕府で御家人の統率を行った役所は?
解説を読む(ヒント)
侍所さむらいどころ
鎌倉幕府で御家人の管理や軍事を担当した役所。最初の長官は和田義盛で、のちに北条氏が長官を兼ねた。
B一問一答12 / 14
鎌倉幕府で政務や財政を担当した役所は?
解説を読む(ヒント)
政所まんどころ
鎌倉幕府で政治や財政を担当した役所。最初の長官は大江広元で、侍所・問注所とともに幕府の中心となった。
B一問一答13 / 14
鎌倉幕府で裁判を担当した役所は?
解説を読む(ヒント)
問注所もんちゅうじょ
鎌倉幕府で裁判を担当した役所。御家人どうしの争いや、地頭と荘園領主の土地争いを裁いた。
B一問一答14 / 14
鎌倉幕府で将軍を補佐し、実権をにぎった役職は?
解説を読む(ヒント)
執権しっけん
源氏の将軍が3代で絶えた後、北条氏がこの役職で幕府の政治を動かした。北条時政・北条泰時など。
C実戦問題1 / 8 正しいものを選ぼう
鎌倉幕府で御家人どうしの訴訟や荘園領主と地頭の争いを扱った役所は?
問注所は鎌倉幕府で裁判を担当した役所で、御家人間の訴訟や荘園領主と地頭の争いを裁きました。
解説を読む(ヒント)
C実戦問題2 / 8 正しいものを選ぼう
御成敗式目について正しいものはどれですか。
御成敗式目は1232年に北条泰時が定めた、武士の慣習に基づいた裁判の基準で、51か条からなる武家法です。
解説を読む(ヒント)
C実戦問題3 / 8 正しいものを選ぼう
御家人の「奉公」に含まれるものはどれ?
奉公とは御家人が将軍のために戦いに参加したり、京都や鎌倉の警護にあたったりする軍事的な奉仕のことです。
解説を読む(ヒント)
C実戦問題4 / 8 正しいものを選ぼう
承久の乱で敗れた後鳥羽上皇が流された場所は?
後鳥羽上皇は1221年の承久の乱で敗れた後、隠岐(現在の島根県)に流されました。京都には六波羅探題が置かれました。
解説を読む(ヒント)
C実戦問題5 / 8 正しいものを選ぼう
将軍と御家人の御恩と奉公にみられる、ヨーロッパ中世とも共通する社会の仕組みを何という?
封建制度は土地を仲立ちとした主従関係で、御恩と奉公が基本となります。ヨーロッパ中世の領主と騎士の関係も同様の封建制度として知られています。
解説を読む(ヒント)
C実戦問題6 / 8 正しいものを選ぼう
守護と地頭の違いとして正しいのはどれ?
守護は国ごとに置かれて軍事・警察を担当し、地頭は荘園・公領ごとに置かれて年貢徴収・土地管理を担当しました。
解説を読む(ヒント)
C実戦問題7 / 8 正しいものを選ぼう
承久の乱が幕府に与えた最大の影響は?
1221年の承久の乱で幕府が勝利して朝廷への優位が確立し、支配が西日本にも広がりました。京都には六波羅探題が置かれました。
解説を読む(ヒント)
C実戦問題8 / 8 正しいものを選ぼう
鎌倉幕府の初代執権はだれ?
北条時政は鎌倉幕府の初代執権で、頼朝の妻・北条政子の父にあたります。北条氏による執権政治の基礎を築きました。
解説を読む(ヒント)
D記述問題1 / 3 文章で説明しよう
将軍と御家人を結びつけた御恩と奉公の関係のしくみを説明しなさい。
指定語句 御恩奉公
解説を読む(ヒント)
将軍が御家人の領地を保護したり新しい土地を与えたりする御恩に対し、御家人は軍役や警護をつとめる奉公で応じる関係。
D記述問題2 / 3 文章で説明しよう
承久の乱のあと、幕府が京都に六波羅探題を置いた目的を説明しなさい。
指定語句 承久の乱
解説を読む(ヒント)
承久の乱に勝利した幕府が、京都の朝廷の動きを監視し、幕府の支配を西日本にも広げるために置いた。
D記述問題3 / 3 文章で説明しよう
源頼朝は、国ごとと荘園・公領ごとにそれぞれどのような役職を置いたか、説明しなさい。
指定語句 守護地頭
解説を読む(ヒント)
国ごとに軍事や警察を担当する守護を置き、荘園や公領ごとに年貢の取り立てや土地の管理を行う地頭を置いた。
E資料問題写真を見て答えよう
将軍と御家人の関係
(1)図中の①の、将軍が御家人の領地を守ったり与えたりすることを何というか。
(2)図中の②の、御家人が将軍のために戦いや警備に参加することを何というか。
E資料問題写真を見て答えよう
鎌倉幕府のしくみ
(3)図中の①は、将軍を補佐して政治を行った役職である。①にあてはまる役職を答えなさい。
(4)図中の②は、国ごとに置かれ、軍事・警察を担当した役職である。②にあてはまる役職を答えなさい。
(5)図中の③は、荘園や公領ごとに置かれ、年貢の取り立てなどを行った役職である。③にあてはまる役職を答えなさい。
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4

鎌倉時代の社会

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解答
順番
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先に参考書で理解する
鎌倉時代には農業技術が進み、同じ田で米と麦を交互に作るが西日本を中心に広まり、や牛馬耕、草木灰などの肥料の利用で収穫量が高まった。商業も発達し、寺社の門前などで月3回開かれる(三斎市)が各地に広がり、日宋貿易で入ってきたが売買や年貢の支払いに使われる貨幣経済が進んだ。地頭が荘園で力を強めると荘園領主との争いが増え、土地を半分ずつ分け合うで解決することもあった。武士は名誉を重んじ恥をきらうの心がまえを持ち、弓や馬の技を磨くを何より大切にし、一大事には「」と将軍のもとへ駆けつける覚悟を持っていた。
ここからは一問一答答え合わせのやり方をえらぼう
B一問一答1 / 14
同じ田で米と麦を交互に作る農業は?
解説を読む(ヒント)
二毛作にもうさく
秋に米を、冬に麦を作る農業。鎌倉時代に西日本を中心に広まり、収穫量を大きく増やした。
B一問一答2 / 14
寺社の門前や交通の便利な場所で、決まった日に開かれた市場は?
解説を読む(ヒント)
定期市ていきいち
寺社の門前や交通の要所で月3回開かれた三斎市が代表例。宋銭の広まりとともに商業の発展を支えた。
B一問一答3 / 14
鎌倉時代に月3回開催された定期市の呼び方は?
解説を読む(ヒント)
三斎市さんさいいち
寺社の門前などで月3回開かれた定期市。室町時代には月6回の六斎市に増え、商業はさらに発展した。
B一問一答4 / 14
中国の宋から入ってきた銭で、鎌倉時代に商業や年貢の支払いに使われたお金は?
解説を読む(ヒント)
宋銭そうせん
平清盛の日宋貿易で大量に入った中国の銭。年貢の支払いにも使われ、お金中心の経済を広めた。
B一問一答5 / 14
農民が領主に毎年納めた米や布などの税は?
解説を読む(ヒント)
年貢ねんぐ
荘園や公領の農民が領主に毎年納めた米や布などの税。宋銭の広まりで、お金で払うことも増えた。
B一問一答6 / 14
鎌倉時代に普及した、耕作効率を大幅に上げた道具は?
解説を読む(ヒント)
鉄製てっせい農具のうぐ
鎌倉時代に各地に広まった農具。木や石より硬くて丈夫で、深く耕せたため農業の収穫量を大きく高めた。
B一問一答7 / 14
牛や馬を使って田を耕す方法を何という?
解説を読む(ヒント)
牛馬耕ぎゅうばこう
牛や馬を使って田を耕す方法。人だけより深く効率よく耕せたため、鎌倉時代に広まり収穫量を高めた。
B一問一答8 / 14
草木を焼いた灰で、鎌倉時代に肥料として使われたのは?
解説を読む(ヒント)
草木灰そうもくばい
草木を焼いて作った灰を田畑にまく肥料。鎌倉時代に広く使われ、二毛作とともに農業の収穫量を高めた。
B一問一答9 / 14
鎌倉時代に馬を利用して荷物を運んだ運送業者は?
解説を読む(ヒント)
馬借ばしゃく
馬を使って各地の産物を定期市や港に運んだ運送業者。宋銭の広まりとともに商業の発展を支えた。
B一問一答10 / 14
名誉を大切にし、はじをきらう武士の心がまえは?
解説を読む(ヒント)
武士道ぶしどう
鎌倉時代の武士の生き方の基本。名誉を重んじはじをきらい、弓や馬の技を磨くことを大切にした。
B一問一答11 / 14
鎌倉時代の武士が重んじた、弓術や馬術などの武芸を中心とする考え方は?
解説を読む(ヒント)
弓馬きゅうばの道
鎌倉時代の武士が大切にした考え方。弓と馬の技を磨くことが武士のもっとも大切なつとめとされた。
B一問一答12 / 14
地頭と荘園領主が土地を半分ずつ分けることを何という?
解説を読む(ヒント)
下地中分したじちゅうぶん
地頭と荘園領主の土地争いが裁判でも決着しないとき、土地を半分ずつ分けて支配した取り決め。
B一問一答13 / 14
宋銭の流通で物々交換から変化した、お金を使う経済のしくみは?
解説を読む(ヒント)
貨幣かへい経済けいざい
日宋貿易で入った宋銭の広まりにより、物々交換に代わってお金で品物を売り買いする仕組みが広がった。
B一問一答14 / 14
鎌倉幕府で地頭と荘園領主の争いなどを裁判で扱った機関は?
解説を読む(ヒント)
問注所もんちゅうじょ
鎌倉幕府で裁判を担当した役所。御家人どうしの争いや、地頭と荘園領主の土地争いを裁いた。
C実戦問題1 / 8 正しいものを選ぼう
鎌倉時代に商業が発達した理由として適切なものはどれですか。
宋銭の流通と定期市の発達は鎌倉時代の商業発達の原動力で、寺社の門前や交通の要所で月3回の三斎市が広く開かれました。
解説を読む(ヒント)
C実戦問題2 / 8 正しいものを選ぼう
二毛作で栽培されたおもな2つの作物は?
二毛作では秋に米をとったあと冬に麦を作り、同じ土地で年に二度の収穫を得ました。鎌倉時代に西日本を中心に広まりました。
解説を読む(ヒント)
C実戦問題3 / 8 正しいものを選ぼう
二毛作が主に広まった地域はどこ?
二毛作は気候が温暖な西日本を中心に広まり、同じ田で米と麦を交互に作って年に二度の収穫を得ることを可能にしました。
解説を読む(ヒント)
C実戦問題4 / 8 正しいものを選ぼう
鎌倉時代に最も広く使われた肥料はどれ?
草木灰は草木を焼いて作った灰を土地にまく肥料で、養分を補い農業の生産力を高める働きをし、鎌倉時代に広く利用されました。
解説を読む(ヒント)
C実戦問題5 / 8 正しいものを選ぼう
地頭が荘園で勢力を強めた理由として正しいのは?
武力を持つ地頭が年貢の徴収を担当するうちに、農民や土地への支配力を増していきました。
解説を読む(ヒント)
C実戦問題6 / 8 正しいものを選ぼう
鎌倉時代の社会を特徴づける3つのキーワードとして正しいのは?
鎌倉時代の社会は二毛作(農業の発展)、定期市(商業の広がり)、御恩と奉公(武士社会のしくみ)の3点で特徴づけられます。
解説を読む(ヒント)
C実戦問題7 / 8 正しいものを選ぼう
鎌倉時代の定期市が開かれた頻度は月に何回?
鎌倉時代の定期市は月に3回開催される三斎市が一般的で、寺社の門前や交通の要所で開かれて商業の発達を支えました。
解説を読む(ヒント)
C実戦問題8 / 8 正しいものを選ぼう
鎌倉時代の武士の生活が質素だった理由は?
鎌倉時代の武士は弓馬の道など武芸を磨くことを第一として常に戦いに備える生活をしていたため、贅沢を避けて質素な暮らしを保ちました。
解説を読む(ヒント)
D記述問題1 / 2 文章で説明しよう
鎌倉時代に農業の収穫量が高まった理由を説明しなさい。
指定語句 二毛作
解説を読む(ヒント)
米と麦を交互に作る二毛作が広まり、鉄製農具や牛馬耕、草木灰などの肥料の利用も進んで収穫量が高まったから。
D記述問題2 / 2 文章で説明しよう
地頭と荘園領主の土地争いが下地中分によってどのように解決されたか、説明しなさい。
指定語句 下地中分
解説を読む(ヒント)
地頭が荘園で力を強めて荘園領主との争いが増えたため、土地を半分ずつ分け合う下地中分で解決することもあった。
「鎌倉時代の社会」おつかれさま!
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鎌倉文化と新しい仏教

やり方をえらぼう目次にもどれば何度でも変えられるよ
解答
順番
順番
A要点まとめ( )をタップして確かめよう
先に参考書で理解する
鎌倉時代には力強く写実的な文化が生まれ、東大寺南大門には運慶・快慶らが手がけたが置かれた。文学では、源平の争乱をえがき琵琶法師が語り伝えた軍記物語の、鴨長明が世のはかなさを記した随筆、兼好法師が人々の暮らしをつづった随筆が生まれ、後鳥羽上皇の命で藤原定家らがを編集した。仏教では、念仏を唱えれば救われると説いたが浄土宗を開き、その弟子は浄土真宗を、一遍は踊念仏を広めて時宗を開いた。日蓮は法華経の題目を唱えるを、栄西は宋から伝えたを、道元はひたすら座禅を行うを開いた。
ここからは一問一答答え合わせのやり方をえらぼう
B一問一答1 / 14
鎌倉時代に再建された東大寺の門は?
解説を読む(ヒント)
東大寺とうだいじ南大門なんだいもん
源平の争乱で焼けた東大寺を鎌倉時代に建て直した門。宋から伝わった力強い建築様式が特徴。
B一問一答2 / 14
東大寺南大門にある、運慶・快慶らが作った力強い彫刻は?
解説を読む(ヒント)
金剛力士像こんごうりきしぞう
運慶・快慶らが作った二体一対の木の彫刻。本物そっくりで筋肉の表現が力強く、鎌倉文化を代表する作品。
B一問一答3 / 14
運慶とともに金剛力士像を制作した仏師は?
解説を読む(ヒント)
快慶かいけい
運慶の弟子で、東大寺南大門の金剛力士像を運慶らと一緒に制作した仏師。整った作風で知られる。
B一問一答4 / 14
源氏と平氏の戦いをえがいた軍記物語は?
解説を読む(ヒント)
平家物語へいけものがたり
源氏と平氏の戦いと栄枯盛衰を描いた物語。琵琶法師が語り伝え「祇園精舎の鐘の声」の書き出しが有名。
B一問一答5 / 14
平家物語を琵琶の伴奏で各地に語り歩いた芸能者は?
解説を読む(ヒント)
琵琶法師びわほうし
琵琶の音に合わせて平家物語を語り歩いた、目の見えない僧の姿の人々。文字が読めない人にも物語を届けた。
B一問一答6 / 14
鴨長明が書いた随筆は?
解説を読む(ヒント)
方丈記ほうじょうき
鴨長明が小さな庵で書いた随筆。災害や世のはかなさを記し「ゆく河の流れは絶えずして」の書き出しが有名。
B一問一答7 / 14
方丈記を書いた人物は?
解説を読む(ヒント)
鴨長明かものちょうめい
鎌倉時代初めの歌人・随筆家。四畳半ほどの小さな庵に住みながら方丈記を書き、世のはかなさを記した。
B一問一答8 / 14
兼好法師が書いた随筆は?
解説を読む(ヒント)
徒然草つれづれぐさ
兼好法師が書いた随筆。「つれづれなるままに」で始まり、人々の暮らしや人生観を述べた作品。
B一問一答9 / 14
徒然草を書いた人物は?
解説を読む(ヒント)
兼好法師けんこうほうし
鎌倉末期から南北朝時代の随筆家で、吉田兼好ともいう。徒然草で人々の暮らしや人生観を描いた。
B一問一答10 / 14
後鳥羽上皇の命令で編集された和歌集は?
解説を読む(ヒント)
新古今しんこきん和歌集わかしゅう
後鳥羽上皇の命令で藤原定家らが編集した和歌集。定家や西行らの歌が収められた貴族文化の代表作。
B一問一答11 / 14
「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば救われると説いた浄土宗の開祖は?
解説を読む(ヒント)
法然ほうねん
比叡山で修行した僧で、浄土宗を開いた人物。念仏を唱えるだけで救われるという分かりやすい教えで広まった。
B一問一答12 / 14
法然の弟子で、阿弥陀如来を信じる浄土真宗を開いたのは?
解説を読む(ヒント)
親鸞しんらん
法然の弟子で浄土真宗を開いた人物。阿弥陀仏を信じれば悪人でも救われるという「悪人正機」を説いた。
B一問一答13 / 14
「踊念仏」を広め、時宗を開いた人物は?
解説を読む(ヒント)
一遍いっぺん
時宗を開いた僧。踊りながら念仏を唱える「踊念仏」で全国を巡り、人々に広く受け入れられた。
B一問一答14 / 14
法華経の題目「南無妙法蓮華経」を唱えて救われると説いたのは?
解説を読む(ヒント)
日蓮にちれん
日蓮宗を開いた僧。法華経だけが正しい教えだと主張し、他の宗派を批判して幕府からも何度も罰された。
C実戦問題1 / 8 正しいものを選ぼう
鎌倉新仏教について正しい組み合わせはどれですか。
親鸞は法然の弟子で浄土真宗を開きました。法然は浄土宗、栄西は臨済宗(禅宗)、日蓮は日蓮宗を開いた人物です。
解説を読む(ヒント)
C実戦問題2 / 8 正しいものを選ぼう
日蓮の教えとして正しいものはどれですか。
日蓮は「南無妙法蓮華経」と法華経の題目を唱えることを説き、日蓮宗を開きました。座禅は曹洞宗、念仏は浄土宗系、踊念仏は時宗の特徴です。
解説を読む(ヒント)
C実戦問題3 / 8 正しいものを選ぼう
金剛力士像の作風の特徴として正しいのは?
金剛力士像は運慶・快慶らが制作した木造彫刻で、写実的で力強く、筋肉や動きの描写に優れる鎌倉文化を象徴する作品です。
解説を読む(ヒント)
C実戦問題4 / 8 正しいものを選ぼう
中国の宋から伝わり、自力での修行を重んじたことから武士に広く受け入れられた仏教の系統は?
禅宗(臨済宗・曹洞宗)は宋から伝わり、座禅による自力の修行で悟りを目指す教えで、武士の精神に合い広く支持されました。
解説を読む(ヒント)
C実戦問題5 / 8 正しいものを選ぼう
鎌倉新仏教を大きく分けると、どの3つの系統になる?
鎌倉新仏教は念仏系(浄土宗・浄土真宗・時宗)、題目系(日蓮宗)、座禅系(臨済宗・曹洞宗)の3系統に分けられます。
解説を読む(ヒント)
C実戦問題6 / 8 正しいものを選ぼう
鎌倉新仏教のうち、阿弥陀仏に頼ることで救われると説いた宗派の組み合わせは?
浄土宗(法然)・浄土真宗(親鸞)・時宗(一遍)はいずれも阿弥陀仏に頼ることで救われると説いた念仏系の宗派です。
解説を読む(ヒント)
C実戦問題7 / 8 正しいものを選ぼう
臨済宗と曹洞宗の違いとして正しいのは?
臨済宗は座禅に加えて問答(公案)を重視し、曹洞宗はひたすら座禅を行う(只管打坐)ことを重視しました。両宗派ともに宋から伝わった禅宗です。
解説を読む(ヒント)
C実戦問題8 / 8 正しいものを選ぼう
平家物語の冒頭の有名な一節として正しいのは?
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」は平家物語の冒頭の一節で、万物の移り変わりを象徴する名句として有名です。
解説を読む(ヒント)
D記述問題1 / 3 文章で説明しよう
法然と親鸞の教えの違いを説明しなさい。
指定語句 浄土宗浄土真宗
解説を読む(ヒント)
法然は念仏を唱えれば誰でも救われると説いて浄土宗を開き、弟子の親鸞は悪人正機を説いて浄土真宗を開いた。
D記述問題2 / 3 文章で説明しよう
平家物語が文字を読めない人々にも広く伝わったのはなぜか、説明しなさい。
指定語句 琵琶法師
解説を読む(ヒント)
琵琶法師が琵琶の伴奏に合わせて平家物語を各地で語り歩き、文字が読めない人々にも物語を伝えたから。
D記述問題3 / 3 文章で説明しよう
金剛力士像は運慶・快慶らによってつくられた。この像に見られる鎌倉文化の特色を説明しなさい。
指定語句 写実的武士
解説を読む(ヒント)
金剛力士像は、写実的で力強く表現されており、武士の気風を反映した鎌倉文化の特色がよく表れている。
「鎌倉文化と新しい仏教」おつかれさま!
ほかの解き方でもう一度
参考書でおさらいする
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